北鑑:kitakagami:きたかがみ:
・・・古代の事なれば後世に改む数印は
ひふみよゑ
むなやこと
そもちよお
(記号の変化を以下に記す、上記はそれにふられたかな)
http://kitakagami.seisaku.bz/images/k07-04.jpg
是れ荒覇吐神社由来なり。
http://kitakagami.seisaku.bz/images/k13-02.jpg
https://ja.wikipedia.org/wiki/遮光器土偶
(何処かの埴輪に面影が)
https://iush.jp/uploads/files/20191119162225.pdf
https://mkana777jp.hatenablog.com/entry/2018/12/28/154024
https://minsyu-rikken-jiyuu.webnode.jp/日本書紀の窓から2/
シナマンダの木?
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jinnavib/83/0/83_KJ00004996721/_pdf
http://kitakagami.seisaku.bz/kitakagami_emaki_05.html
日本思想史学会(岡山大学)大会
柳田民俗学批判 ― 歴史の欠落をめぐって ―
報告要旨 2010年10月17日 古田武彦
http://www.furutasigaku.jp/efuruta/notes.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/アラハバキ
アラハバキ神の祠がある神社は全国に見られるが、その中には客人神(門客神)としてまつられている例が多い。客人神については、「元々は主神だったのが、客人(まれびと、まろうど)の神(≒ 地主神)に主客転倒したもの」という説がある。
古史『東日流外三郡誌』の影響により、遮光器土偶のイメージとして世間には広まっている。そのため、起源は縄文時代といわれることが多いが、縄文系の子孫であるところの蝦夷(エミシ)の神だったともよくいわれる。
『東日流外三郡誌』以前の認識[編集]
「荒脛巾神」という文字から、脛(はぎ)に佩く「脛巾(はばき)」の神と捉えられ、神像に草で編んだ脛巾が取り付けられる信仰がある。多賀城市の荒脛巾神社で祀られる「おきゃくさん」は足の神として、旅人から崇拝され、脚絆等を奉げられていたが[1]、後に「下半身全般」を癒すとされ、男根をかたどった物も奉げられた。神仏分離以降は「脛」の字から長脛彦を祀るともされた。
https://iush.jp/uploads/files/20181115163949.pdf
https://thmtomo.up.seesaa.net/pdf/News20.pdf
荒脛巾神社
荒吐族:あらばきぞく
荒脛巾族:あらはばきぞく