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日本語のルーツ?:Y-D2:M7a:弥生時代:DNA:

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日本語のルーツ?:Y-D2:M7a:弥生時代:



5世紀頃、九州で話されていたことばが、
沖縄など含む島々にその痕跡を残していた。
同時代に、九州から近畿方面に移動した集団
から日本語のルーツにつながる可能性を示唆していた。
 さて、その根拠は?

縄文の時代も人口が増加傾向を示していたが、或る時期急激に
減少している。其の後、弥生時代に向け増加に転じている。

http://blogs.yahoo.co.jp/ats_888888/38650608.html
図の数値はさらに検証される必要はあるが、概要として参照。

その背景を補間し、さらに取り巻く事情が見出されるのであろうか。


http://ja.wikipedia.org/wiki/日本語の起源
これに対してツングース諸語・満州語・日本語・朝鮮語に対象領域を縮小し比較の精度を上げる研究の流れもある(米国のA. ボビン(2003年))。

f:id:TAS-net:20211209162145p:plain

https://dena.com/jp/article/3157



 

20211209

 

 

ゲノムから読み解く 日本人の起源 - 東京大学

https://ocw.u-tokyo.ac.jp › lecture_files › notes
ABAという型の分布が見られたら,. 語形Aが古く,語形Bが古い傾向がある. A=アイヌの人々と沖縄の人々 ... DNAから見た日本人 (ちくま新書) 斎藤 成也 著 (2005).

https://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_files/gf_14/4/notes/ja/04saito.pdf

 

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC18CCA0Y1A610C2000000/

どのような過程で混血が進んだのかはまだ不明で、弥生時代の謎は深まる一方だ。今回の解析で見えた現代の日本列島に残る都道府県ごとの違いは、弥生時代の混血の過程で起こったまだ誰も知らない出来事を反映している可能性がある。書物にも残されていない日本人の歴史の序章は、ほかならぬ私たち自身のゲノムに刻まれているのだ。

日経サイエンス編集部 出村政彬)

詳細は6月24日発売の日経サイエンス8月号に掲載

 

 

f:id:TAS-net:20211209162830p:plain

https://ja.wikipedia.org/wiki/日本人

https://www.city.shimoda.shizuoka.jp/file/斎藤成也先生講演ファイル.pdf

 

 

 

日本語方言の多様性−アクセントの地域差―

http://repository.tufs.ac.jp › bitstream › ijs01_17
木部暢子 著 — これまでの研究成果からアクセントの地域差. を概観してみよう。 図1 金田一春彦監修 秋永一枝編『新明解アクセント辞典』より. Page 2 ...
9 ページ

https://dictionary.sanseido-publ.co.jp/wordpress/wp-content/themes/dictionaryandbeyond/pdf/ssd36393.pdf

 

 

https://jpsearch.go.jp/csearch/jps-cross?csid=jps-cross&f-common.provider=%20北杜市金田一春彦記念図書館

 

 

 コメント(24)

  

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服部四郎 『日本語の系統』(1959年 単行本もあり)1999年 岩波文庫
村山七郎・大林太良 『日本語の起源』1973年 弘文堂
村山七郎『日本語の語源』1974年 弘文堂
亀井孝大藤時彦山田俊雄編『日本語の歴史1』2006年 平凡社ライブラリー,ISBN 4582765955
森博達 『日本書紀の謎を解く―述作者は誰か』1999年 中公新書
森浩一編 「三世紀倭人語の音韻」(『倭人伝を読む』所収)1985年 中公新書

2014/10/11(土) 午後 5:54ogw*og*2

  

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第2487回:3人の仏教女王と高句麗の宗教

http://blogs.yahoo.co.jp/kairouwait08/33023881.html

2014/10/11(土) 午後 5:55ogw*og*2

  

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大野晋 『日本語の起源』1957年 岩波新書
大野晋 『日本語はいかにして成立したか』2002年 中央公論社
大野晋 『日本語の形成』2000年 岩波書店
大野晋金関恕編『考古学・人類学・言語学との対話…日本語はどこから来たのか』2006年岩波書店
風間喜代三 「ことばの系統」『東京大学公開講座 ことば』1983年 東京大学出版会

2014/10/11(土) 午後 5:56ogw*og*2

  

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宋敏 『韓国語と日本語のあいだ』1999年 草風館
田中孝顕 『ささがねの蜘蛛―意味不明の枕詞・神話を解いてわかる古代人の思考法 (古事記日本書紀万葉集と古代タミル語の饗宴)』2008年 幻冬舎
田中孝顕 『日本語の真実/タミル語記紀万葉集を読み解く』2006年 幻冬舎
国際日本文化研究センター『日本語系統論の現在』 2003年

2014/10/11(土) 午後 5:56ogw*og*2

  

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その当時どのような言葉が語られ、
どのように変わって、
現在に至っているのか。


すでに、古文と言われるものも、皆が読めない。
そのような変化がどの程度年代ごとに識別できるのか
文字を多くの庶民が扱うようになったのは、長らく安定
した江戸時代で、俳句とか多くのものが残されている。

それ、以前は、限定的な階層のものが残されている。

つまり、江戸以前はそれらの背景なども注目される。

現存する資料も、それが補間するものとか、他の分析資料
などで補強されていると信頼性が高まる。

2014/10/11(土) 午後 6:07ogw*og*2

  

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日本語のルーツは古代朝鮮語だった

http://web.joumon.jp.net/blog/2009/01/688.html

2014/10/11(土) 午後 6:28ogw*og*2

  

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澤田洋太郎氏は「伽耶は日本のルーツ」(93年)の中で、考古学的視点から以下の根拠により日本人の原郷を伽耶地方だとしています。
弥生時代の北九州地方と伽耶地方の遺跡や発掘品を比較すると、
双方非常によく似ていて、若干、北九州の方が新しい。
環濠集落や銅剣、鏡、管玉の意匠が、そっくりであること。
双方で、そっくりの馬よろいが発見され、騎馬民族系譜であること。
墓制がそっくりで、石槨はあるが、棺はないという騎馬民族の特徴があること。
この騎馬民族的特長は、百済新羅にはないこと。
参照:チュー太郎
また、澤田氏は、伽耶天皇家及び物部氏の起源地であるとしています。上記サイトで紹介しています。
井沢元彦氏の『逆説の日本史~1古代黎明編』を紹介する天皇家のルーツは朝鮮半島南部にあるでも、

2014/10/11(土) 午後 6:30ogw*og*2

  

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6~7世紀に新羅によって滅ぼされた任那伽耶)、百済から大量の渡来人が支店である日本に亡命してきたが、彼らが侵略者に転じなかったのも、既に確立していた大和朝廷という同胞国家に迎え入れられたからであろう。彼らにとって日本が本拠地になったのだ。

2014/10/11(土) 午後 6:30ogw*og*2

  

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しかし、古代日本語の来た道を解明するためには、国学・漢学・一般言語学の知見を統合する努力が必要である。言語の起源の研究は、どうしても、思弁的になりがちである。検証可能な資料により、できるだけ 諸説を検証していく実証的な姿勢が求められているのではなかろうか。


http://www3.ocn.ne.jp/~ocra/001.html

2014/10/11(土) 午後 7:54ogw*og*2

  

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<2>日本人はモンゴロイド
日本人がモンゴロイドであることは、人種としての形態学的な特徴の面からも遺伝的特徴からも明らかである。日本人がモンゴロイドであることは間違いないことではあるが、モンゴロイドの系統は、大きくは北方系と南方系に分類され、それがさらに細分化される。日本人はそうしたモンゴロイドのどのような小集団に属するのかの解明はまだ十分ではない。日本人を構成する人々が、何時どのような経路で、現在の日本列島にたどりついて、定着したのかの探求がいま盛んに行われている。日本人はモンゴロイドであるものの細かに分類した場合には、単一の人種あるいは単一の民族でなかったことが判明している。

http://www.keiryou-keisoku.co.jp/other/gakkai2.html

2014/10/11(土) 午後 10:04ogw*og*2

  

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<3>日本人の基層をなすのは古モンゴロイド縄文時代
そうした日本人の基層をなすのは縄文時代人である。縄文人は彫りが深く、立体的な顔立ちの古モンゴロイドであった。古モンゴロイドの基層の上に新モンゴロイドがかぶさって、現在の日本人を形成したと考えるようになった。

2014/10/11(土) 午後 10:06ogw*og*2

  

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<5>新モンゴロイドは寒冷順化型
モンゴロイドは寒冷順化した人種であり、古モンゴロイドは寒冷順化していない人種である。その違いは顔の彫りの深さに現れる。新モンゴロイドは寒冷順化により、顔の表面積が小さくなりのっぺりした顔立ちになった。モンゴル人やイヌイットエスキモー)の人々に特徴的な顔立ちのことである。

2014/10/11(土) 午後 10:14ogw*og*2

  

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(1)身長=弥生人161cm~162cm、縄文人159cm。
(2)頭指数(頭蓋骨計測)=弥生人より縄文人は頭が前後に長い。
(3)指紋の型の出現率をに人種差がある(指紋三叉数)=朝鮮15.00、北海道アイヌ12.97で中間に全国各地方、沖縄はアイヌに一番近い数値を示し13.45。
(4)手のひらの皮膚降線(D線3型出現率)から求めた遺伝的距離=アイヌと南西諸島が近く共に朝鮮から大きき離れている。近畿は朝鮮に近似。つづいて中部が朝鮮に近い。

2014/10/11(土) 午後 10:20ogw*og*2

  

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(5)耳垢=コナ耳(乾型)は朝鮮、中国に多い、アメ耳(湿型)は50%(約60%=『日本人新起源論』所載の「遺伝学から見た日本人集団」尾本恵一より)、南西諸島も高い、日本人では17%。」
(6)耳たぶ=福耳はアイヌ、南西諸島では出現率が高い、奄美では77.2%、朝鮮では32.6%、西日本は朝鮮に近い。
(7)まぶた=二重まぶたはアイヌ、沖縄地方の人々に多く出現する。本州人の出現率は前記より少ない。
(8)頭髪=朝鮮、中国など大陸方面の集団は直毛、アイヌおよび南西諸島はウエーブ(波打ち)形状。
(9)体毛=朝鮮、中国など大陸方面の集団は少ない、アイヌおよび南西諸島は多い(発達している)。
(10)その他

2014/10/11(土) 午後 10:21ogw*og*2

  

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<9>ミトコンドリアDNA、血液中蛋白質など分子レベルの遺伝学によって分類される人種(『日本人新起源論』所載の「遺伝学から見た日本人集団」尾本恵一より)
(1)アイヌと本土人よりも、本土人と中国人の方が近い関係にある(現代アイヌの本土人との混血率は40%)。
(2)顔つきの違いとと遺伝子の話とは一緒にしていはいけない。(ある種の遺伝子はアイヌと本土人は非常によく似ている)。
(3)その他

2014/10/11(土) 午後 10:22ogw*og*2

  

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<5>旧石器時代人の人骨の港川人
まぼろしに終わった「明石原人」の後、旧石器時代人の人骨がその後何例か出ている。
石灰岩石切場で発破をかけた破砕後から出てきた人骨で牛川人(豊橋市)、三ヶ日人、浜北人である。これらは旧石器時代の地層から偶然に転がり出てきはしたものである。惜しいのはその人骨が断片的に過ぎることである。
1967年に沖縄本島南部の港川(具志頭村)から出てきた数例の港川人の骨は、放射性炭素C14による年代測定で、一万六千年から一万八千年前のものであることが分かっている。

2014/10/11(土) 午後 10:27ogw*og*2

  

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(3)朝鮮半島経由の犬
一方、弥生人とともに突然変異型の遺伝子を持ったイヌが朝鮮半島を経てたくさん入ってきて、先にいた縄文犬と混血し、今の日本犬のもととなったと思われる。その後、古墳時代以後は、外国のイヌの影響を受けず、日本犬が成立していった。
弥生人朝鮮半島からやってきたが、人の歴史と犬の歴史が照合する。イヌは常に人間とともに移動するので、日本犬の起源から日本人の歴史、ルーツが見えてくる。しかし、古いイヌの型の遺伝子がどうやって日本に入ってきたのかなど、明らかにすべき点がまだまだ残されている。今後、古いイヌの骨のDNA解析などを用いての調査がなされていくことになろう。

2014/10/11(土) 午後 10:42ogw*og*2

  

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(4)縄文人は犬を埋葬した
縄文人の生活の中心は狩猟採取だったから、イヌを猟犬として使っていたと考えられている。縄文遺跡からは、埋葬されたイヌの骨が出てくる。縄文人にとって犬は埋葬する対象となるほど親近感が強かった証拠がある。当時は人間にとってイヌは狩猟のための重要な存在だった。約1万1千年前の遺跡、愛媛県の上黒岩陰遺跡から埋葬された犬の骨が出てきている。縄文時代の犬の大きさは遺跡から発掘された骨の大きさが柴犬の大きさ程度だった。

2014/10/11(土) 午後 10:43ogw*og*2

  

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(5)弥生人は犬を食べた
しかし、今から約2千3百年前の弥生人の時代になると、大きくイヌの用途も変った。長崎県の原(はる)の辻遺跡から、たくさんのイヌの骨、それも殺されて食べられた跡のある骨が発見されている。弥生人は農耕生活をしており、イヌは食用としての存在だったと推定される。

2014/10/11(土) 午後 10:44ogw*og*2

  

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(6)日本で犬を食べなくなったのは明治以後
それが6世紀頃になると、仏教の伝来とともに、イヌだけでなくウシ、ウマ、ニワトリなどの肉を食べることが禁じられるようになった。犬を人間が食べた痕跡は仏教伝来と普及にともない減っているという。実際にはその後も、わずかながらイヌを食べる習慣が残っていた。日本人が犬を食べなくなったのは、明治時代以降は欧米の動物愛護思想が広まってからのようであり、現代の日本には犬を食べる習慣はない。

2014/10/11(土) 午後 10:45ogw*og*2

  

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(9)アイヌ犬はアイヌと共に北海道に移動
古い日本犬は縄文人たちが南中国または台湾経由で日本列島に持ち込んだ。
2300年くらい前に弥生人朝鮮半島を経由して新しい犬を持ち込んだ。
縄文早期の犬の体高は36cmから41cm程度で、これは現在の柴犬に該当する。縄文後期なると体高46cmから51cm程度で、これは日本犬中型犬に該当する。紀州犬朝鮮半島の犬に近いDNAをもっているが、アイヌ犬は(北海道犬)異なる。北海道犬縄文人の末裔であるアイヌが本州から直接持ち込んだものと考えられている。北海道犬は遺伝子構成が、南方系の台湾在来種や中国南部起源の犬に近く、エスキモー犬とは遠い。

2014/10/11(土) 午後 10:48ogw*og*2

  

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人類学的にみるとアイヌエスキモーとは遠く、沖縄の人々に近い。弥生人と異なる形質をもつのはアイヌと沖縄の人々であり、これらの人々は縄文人の末裔であることが確実である。
(以上は田名部雄一著『犬から探る古代日本人の謎』の大略である。)
(10)田名部雄一は血液遺伝子を中心にして日本の古代の犬のルーツを探っているが、西本豊は犬の骨の形、大きさなどを基本にしてルーツを探っている。西本豊はオホーツク文化の犬の骨を詳しく調べて、その顔つきが縄文犬あるいは続縄文犬とかなり違っていることを根拠として、樺太(サハリン)方面から持ち込まれた犬だと考えている。このオホーツク犬は、北海道の中・近世の遺跡から見つかる犬の骨やアイヌ犬(北海道犬)に近いと結論づける。(体系日本の歴史1 日本人の誕生 小学館

2014/10/11(土) 午後 10:50ogw*og*2

  

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(5)で、今から約2千3百年前の弥生人の時代になると
」とされる頃は全国的に人口が減少して、そこから反転しようと
する背景があり、その中でも東北域では変動が少なく、縄文の特徴をより色濃く残せる背景があった。それを裏付ける、弥生への移行が地域的な事情で、時期、変化時間に差があったという言及も目にしている。 その結果、東北、北海道域に北海道犬が残り、仮定Xを増強する。

2014/10/11(土) 午後 11:26ogw*og*2

  

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(5)で、今から約2千3百年前の弥生人の時代になると
」とされる頃は全国的に人口が減少して、そこから反転しようと
する背景があり、その中でも東北域では変動が少なく、縄文の特徴をより色濃く残せる背景があった。それを裏付ける、弥生への移行が地域的な事情で、時期、変化時間に差があったという言及も目にしている。 その結果、東北、北海道域に北海道犬が残り、仮定Xを増強する。

http://blogs.yahoo.co.jp/ats_888888/38650608.html

その、人口減少の理由はまだサーチできてない。
しかし、その減少を契機に弥生時代を特徴づける勢力が増えるような領域が生まれる背景になったのではないか。

2014/10/11(土) 午後 11:34ogw*og*2

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