刻目突帯文土器(きざみめとったいもんどき)
https://ja.wikipedia.org/wiki/刻目突帯文土器
似たような土器は沿海州南西部の約4000年前~3000年前のシニ・ガイ文化にもみられ[2]
無文土器(むもんどき)
https://ja.wikipedia.org/wiki/無文土器
崎谷満はY染色体ハプログループO1b(O1b1/O1b2)系統が長江文明の担い手だとしており、長江文明の衰退に伴い、O1b1および一部のO1b2は南下し、百越と呼ばれ、残りのO1b2は西方及び北方へと渡り、山東半島、朝鮮半島、日本列島へ渡ったとしている[3] 。
https://ja.wikipedia.org/wiki/櫛目文土器
櫛目文土器(くしめもんどき)または櫛文土器(くしもんどき)とは櫛歯状の施文具で幾何学的文様を施した土器の総称である。器形は尖底あるいは丸底の砲弾形が基本的である。新石器時代においてユーラシア大陸北部の森林地帯で発達し、バルト海沿岸、フィンランドからボルガ川上流、南シベリア、バイカル湖周辺、モンゴル高原、遼東半島から朝鮮半島に至るまで広く分布する[1]。沿海州[2]やサハリン[3]、オホーツク海北岸[4]からも出土している。
最古のものは遼河文明・興隆窪文化(紀元前6200年頃-紀元前5400年頃)の遺跡から発見されており[5]、
アンガラ川上流域のウスチ・ベラヤ遺跡第IIa層(前5千年紀)、
エニセイ川流域のウニュク遺跡(前4千年紀終末~前3千年紀初頭)、
西シベリアの沿オビ川地域(前4千年紀終末~前3千年紀後半)から出土し[6]、
フィンランドでは紀元前4200年以降、
朝鮮半島では紀元前4000年以降に初めて現れることから、
遼河地域を原郷にして朝鮮や、西はシベリアを経て北欧まで拡散していったようである。
これはウラル語族(特にフィン・ウゴル系民族)/Y染色体ハプログループN1a1[7]の拡散と関連していると考えられる。実際に、新石器時代後期のロシアの櫛目文土器文化の遺跡の人骨からハプログループN1a1が検出されている[8]。
日本の
https://www.ao-maibun.jp/syozou.html
二ツ森貝塚館 (青森県上北郡七戸町字鉢森平181-26 電話:0176-68-2612)
鹿の角でつくられた櫛(髪飾り)(約5000年前/縄文時代前期)
三内丸山遺跡センター (青森県青森市三内字丸山305 電話:017-766-8282)
漆が塗られた櫛(髪飾り)
(西目屋村 川原平(1)遺跡出土 約3000年前/縄文時代晩期
中国で世界最古の土器片 2万年前、料理の跡?
世界最古となる約2万年前の土器片を、中国・江西省の洞窟遺跡で発見したと、北京大や米国などの研究チームが29日付の米科学誌サイエンスに発表した。これまで日本を含む東アジア各地で見つかっていた、最古級の土器より2千~3千年古いという。
洞窟からは280個以上の土器の破片が出土。多くに焦げた跡があり、チームは「現生人類の祖先が、料理に使ったのではないか」と推測している。
チームは、破片が見つかった地層を詳しく調べ、地層に含まれる動物の骨や炭などの炭素を解析。古い地層は氷河期とされる1万9千~2万年前と結論付けた。
破片は土器の縁の部分などとみられ、厚さ0.7~1.2センチ程度。表面を滑らかに整えたり、筋で模様をつけたりした破片もあった。
https://saito-muse.pref.miyazaki.jp/web/images/event/H29年度/H29企画展Ⅰおすすめ①.pdf
赤色顔料で彩られた土器を赤彩土器と呼んでい
ます。日本列島では縄文時代からみられ、一番古い
例のひとつは、塚原(つかばる)遺跡出土(国富町)
の縄文草創期の土器で、約 11,500 年前のものとい
われています。
KJ00000187322.pdf
、 土器 の 起 源 は お よそ 16,000年 calB.P.以 前 ま で さか の ぼ る可 能
性 が あ る こ とを 、 今 回 の調 査 成 果 は 明 示 した とい え る。