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2016年01月11日23:30
黒姫譚
私の古代ブログはしばしば、その時点で追いかけていたテーマから大きく逸脱します。そのために読んでくださってる方に、しばしば混乱を持ち込んでいます。本ブログで一見なん脈絡も無く解き明かしたことが、後日にその正しさが判明なぞの体験をしてきました。いずれ、系統的に整理致します。
さて当面の問題意識は:
日本書紀が書くところの倭国の「宗教改革」、つまり「天照大神」なる新興宗教創生譚の解明でありました。
「日本書紀」が、そのことをあらわに書いた記事が、一巻に記される下記記事であると思っています〔2015年7月15日記事)。
%%%%%日本書紀巻一より
原文:
「《第九段一書第二》一書曰。天神遣経津主神。武甕槌神、使平定葦原中国。時二神曰。天有悪神。名曰天津甕星。亦名天香香背男。請、先誅此神。然後下撥葦原中国。是時斎主神号斎之大人。此神今在乎東国楫取之地也。(以下略)」
文意は既に上記記事で書いていますので、ここでは繰り返しません。
私の古代ブログはしばしば、その時点で追いかけていたテーマから大きく逸脱します。そのために読んでくださってる方に、しばしば混乱を持ち込んでいます。本ブログで一見なん脈絡も無く解き明かしたことが、後日にその正しさが判明なぞの体験をしてきました。いずれ、系統的に整理致します。
さて当面の問題意識は:
日本書紀が書くところの倭国の「宗教改革」、つまり「天照大神」なる新興宗教創生譚の解明でありました。
「日本書紀」が、そのことをあらわに書いた記事が、一巻に記される下記記事であると思っています〔2015年7月15日記事)。
%%%%%日本書紀巻一より
原文:
「《第九段一書第二》一書曰。天神遣経津主神。武甕槌神、使平定葦原中国。時二神曰。天有悪神。名曰天津甕星。亦名天香香背男。請、先誅此神。然後下撥葦原中国。是時斎主神号斎之大人。此神今在乎東国楫取之地也。(以下略)」
文意は既に上記記事で書いていますので、ここでは繰り返しません。
2016年01月04日23:30
黒比売〔くろひめ〕の周囲
黒比売は、石之日売皇后の激しい嫉妬に恐れをなし、仁徳天皇の傍から吉備に逃げます。逃げられた仁徳天皇は、次に八田之別郎女〔はったのわけのいらつめ〕に心を移します。そこでも嫉妬深い石之日売皇后の逆燐に触れる等の説話を古事記は書きます。こうした説話に、どのような政治的思惑を藤原不比等が込めたのか?色々な想像は出来ますが、またもや本題から脇に逸れかねませんのでこれ以上は立ち入りません(夫婦喧嘩は犬も食わぬであります)。
かくして、時代は、履中天皇〔和名はいざほわけ〕の治世となります。そこでしょっぱなに黒比売命が登場します。この比売は葛城曾都毘古の子である葦田宿禰の娘として登場します。息子の嫁になるはずであった女性、つまり、黒比売を、仁徳天皇が惚れて追い掛け回したということであれば、現代ではいささか物騒な「近親相姦」にもなりかねないストーリイであります。が、仁徳天皇が追い掛け回した女性は吉備の海部の直の娘と言うことになっています。と言うことはこの女性は別人であり、言い換えれば「くろひめ」なる名前がそれほど珍しくない名前であったのかなと思えます。
暗黒を意味する「黒」、その意味をこめて皇女の名前に付したのでしょうか?それは思いがたい。アイヌ語字典を見る限りでは「クロ」が「黒」を意味しないようです。私は「クロ」は外来語ではなかろうか、と思っています。さしあたりは古代ペルシア語にその原義を探してみます。ここで日本人の哀しさ、宿命にぶち当たります。つまりr,とlの識別です。其れを意識しながら字典をさがしてみます:
Khorre 天恵、光輪
Khoule 矢筒
Kulo 曲がっている状態
黒比売は、石之日売皇后の激しい嫉妬に恐れをなし、仁徳天皇の傍から吉備に逃げます。逃げられた仁徳天皇は、次に八田之別郎女〔はったのわけのいらつめ〕に心を移します。そこでも嫉妬深い石之日売皇后の逆燐に触れる等の説話を古事記は書きます。こうした説話に、どのような政治的思惑を藤原不比等が込めたのか?色々な想像は出来ますが、またもや本題から脇に逸れかねませんのでこれ以上は立ち入りません(夫婦喧嘩は犬も食わぬであります)。
かくして、時代は、履中天皇〔和名はいざほわけ〕の治世となります。そこでしょっぱなに黒比売命が登場します。この比売は葛城曾都毘古の子である葦田宿禰の娘として登場します。息子の嫁になるはずであった女性、つまり、黒比売を、仁徳天皇が惚れて追い掛け回したということであれば、現代ではいささか物騒な「近親相姦」にもなりかねないストーリイであります。が、仁徳天皇が追い掛け回した女性は吉備の海部の直の娘と言うことになっています。と言うことはこの女性は別人であり、言い換えれば「くろひめ」なる名前がそれほど珍しくない名前であったのかなと思えます。
暗黒を意味する「黒」、その意味をこめて皇女の名前に付したのでしょうか?それは思いがたい。アイヌ語字典を見る限りでは「クロ」が「黒」を意味しないようです。私は「クロ」は外来語ではなかろうか、と思っています。さしあたりは古代ペルシア語にその原義を探してみます。ここで日本人の哀しさ、宿命にぶち当たります。つまりr,とlの識別です。其れを意識しながら字典をさがしてみます:
Khorre 天恵、光輪
Khoule 矢筒
Kulo 曲がっている状態