2021年10月18日22:30
伊弉諾神宮・陽の道しるべ(6)
前回記事では言及しなかった諏訪大社は、他の神社と事情が異なっています。この地には日本列島古代政治史を考察する上での幾つかの重要な鍵が埋まっていると考えています。その鍵が、古事記と日本書紀にあらわに記載されています。まずは古事記の次の一節です:
原文:
故爾問其大國主神。今汝子。事代主神。如此白訖。亦有可白子乎。於是亦白之。亦我子有建御名方神。除此者無也。 如此白之間。其建御名方神。千引石擎手末而來。言誰來我國而。忍忍如此物言。然欲爲力競。故我先欲取其御手。故令取其御手者。即取成立氷。亦取成劔刄。故爾懼而退居。爾欲取其建御名方神之手。乞歸而取者。如取若葦。搤枇而投離者。即逃去。 故追往而。迫到科野國之州羽海。將殺時。建御名方神白。恐。莫殺我。除此地者。不行他處。亦不違我父大國主神之命。不違八重事代主神之言。此葦原中國者。隨天神御子之命獻。
2021年10月14日22:30
2021年10月07日22:30
2021年10月04日22:30
2021年09月30日22:30
2021年09月27日22:30
2021年09月23日22:30
2021年09月20日22:30
2021年09月16日22:30
2021年09月13日22:30
2021年09月09日22:30
夜刀神(風土記解読‐4)
上で総裁選立候補者の高市氏は「現在の天皇家は二千年以上の伝統を背負っている」と書きますが、二千年以上前の昔といえば邪馬台国出現以前です。邪馬台国が大陸中国の史書に登場するくらいですから、それ以前に日本列島に呼称はともかく、「天皇」なる首領が存在したとすれば中国正史に記載されたとしても不思議ではありません。また、六世紀以前の日本列島政治史は、藤原不比等の思惑が書き込まれていることは歴然としています(たとえば「二重天皇制」)。
本題に戻ります。およそ1300年前、奈良に本拠を置く軍勢は、蝦夷一派の最後の拠点である常陸国を征討するために軍事行動を開始しました。最も激烈な戦闘が展開された行方の地では、奈良軍勢の軍事行動は強烈な反抗を受けます。反抗勢力の中心には「ゾロスタ教を信奉する渡来民の一団」がいました。それを象徴した、あるいは精神的に支えたのが「ヤズド」で、在来の民は彼らが「夜刀(ヤツド)」と呼称されていたと言い伝えます。史実の一端を常陸国風土記は書いていることになります。
反抗の最大の理由は行方の地の東側背後「北の浦」を挟んだ東方に存在した彼らの本拠地・鹿島の守護です。そこには東国蝦夷の軍事的政治的拠点が設営されていたのです。行方の地はまさに鹿島防衛「壁」、すなわち軍事要塞であったとすれば、要塞建造は鹿島に拠点を設営した西暦531年からそれほど遠くない時期であったと思われます。
上で総裁選立候補者の高市氏は「現在の天皇家は二千年以上の伝統を背負っている」と書きますが、二千年以上前の昔といえば邪馬台国出現以前です。邪馬台国が大陸中国の史書に登場するくらいですから、それ以前に日本列島に呼称はともかく、「天皇」なる首領が存在したとすれば中国正史に記載されたとしても不思議ではありません。また、六世紀以前の日本列島政治史は、藤原不比等の思惑が書き込まれていることは歴然としています(たとえば「二重天皇制」)。
本題に戻ります。およそ1300年前、奈良に本拠を置く軍勢は、蝦夷一派の最後の拠点である常陸国を征討するために軍事行動を開始しました。最も激烈な戦闘が展開された行方の地では、奈良軍勢の軍事行動は強烈な反抗を受けます。反抗勢力の中心には「ゾロスタ教を信奉する渡来民の一団」がいました。それを象徴した、あるいは精神的に支えたのが「ヤズド」で、在来の民は彼らが「夜刀(ヤツド)」と呼称されていたと言い伝えます。史実の一端を常陸国風土記は書いていることになります。
反抗の最大の理由は行方の地の東側背後「北の浦」を挟んだ東方に存在した彼らの本拠地・鹿島の守護です。そこには東国蝦夷の軍事的政治的拠点が設営されていたのです。行方の地はまさに鹿島防衛「壁」、すなわち軍事要塞であったとすれば、要塞建造は鹿島に拠点を設営した西暦531年からそれほど遠くない時期であったと思われます。
2021年09月06日22:30
2021年09月02日22:30
行方郡の「八刀神」(1)
常陸国風土記が費やす字数はおよそ7380字です。そのうち行方郡の条に最大数の字数が使われ全体の28%、鹿島の条が22%です。二つの郡に関する記述だけで常陸国風土記全記載量の半分を占めています。常陸国風土記が書く九つの郡の中でこの行方・香島の二つの郡が特に重視されていたことを示しています。鹿島には日本最古の神社といわれ「神宮」なる「尊称」が付される鹿島神宮があります。
しかし、行方郡については特記さるべき事象、史跡を歴史研究者たちは挙げていません。これは日本列島古代史の中でも最大級の謎といえるかもしれません。行方郡の地が日本列島古代史上の重大事件発生場所であることを本ブログでは明らかにしてました。謎は解明されつつあります(参考:16年12月26日記事など多数)。常陸国風土記を丁寧に読み解く作業の中で浮かび上がってくるのが「夜刀神」(やつど)の存在です。すでに本ブログでは丁寧に書いてきたことですが、簡単に繰り返しておきます。実は驚くべき発見が付け加わっているからです。前段として行方なる地を概観しておきます。
常陸国風土記が費やす字数はおよそ7380字です。そのうち行方郡の条に最大数の字数が使われ全体の28%、鹿島の条が22%です。二つの郡に関する記述だけで常陸国風土記全記載量の半分を占めています。常陸国風土記が書く九つの郡の中でこの行方・香島の二つの郡が特に重視されていたことを示しています。鹿島には日本最古の神社といわれ「神宮」なる「尊称」が付される鹿島神宮があります。
しかし、行方郡については特記さるべき事象、史跡を歴史研究者たちは挙げていません。これは日本列島古代史の中でも最大級の謎といえるかもしれません。行方郡の地が日本列島古代史上の重大事件発生場所であることを本ブログでは明らかにしてました。謎は解明されつつあります(参考:16年12月26日記事など多数)。常陸国風土記を丁寧に読み解く作業の中で浮かび上がってくるのが「夜刀神」(やつど)の存在です。すでに本ブログでは丁寧に書いてきたことですが、簡単に繰り返しておきます。実は驚くべき発見が付け加わっているからです。前段として行方なる地を概観しておきます。
2021年08月26日22:30
2021年08月23日22:30
2021年08月19日22:30
2021年08月16日22:30
2021年08月12日22:30
2021年08月09日22:30
2021年08月05日22:30
2021年08月02日22:00
2021年07月29日18:00
2021年07月26日22:30
2021年07月22日22:30
2021年07月12日22:30
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2021年07月01日22:30
2021年06月28日23:00
2021年06月24日22:30
2021年06月21日22:30
2021年06月14日22:30
2021年06月10日22:30
2021年06月03日22:30
2021年05月31日22:30
2021年05月27日22:30
2021年05月24日22:30
2021年05月20日22:30
2021年05月17日22:30
2021年05月13日22:30
2021年05月10日22:30
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2021年05月03日22:30
2021年04月29日22:30
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2021年04月19日23:00
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2021年01月28日23:00
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2020年12月26日22:30
2020年12月23日22:30
2020年12月16日22:30
2020年12月13日22:30
2020年12月10日22:30
2020年12月07日22:30
2020年11月24日21:00
次回は、竹中平蔵氏の経済政策によって、いかに日本経済が危機に瀕したかを具体的なデータを用いてご紹介したいと思います。また竹中平蔵氏の悪行を詳細にご紹介した『税金ビジネスの正体』という本をビジネス社から出しています。
景行天皇(4)
景行天皇記(「記」は古事記からの引用と言う意味、「紀」は日本書紀)の冒頭に登場する三人の息子の内の二人に「うす」が付されている。「臼杵」なる地名が、津久見のすぐ北にありますが、その「ウス」はこの息子の名前に由来するのではないか。そうとすれば、これも天皇の政治拠点である「日代宮」が現在の津久見市であったことを示している、と前回記事で書きました。古事記を更に読み進めると同様の事例が見つかります。
景行記は冒頭に「系図」とでも言うべき人物名を羅列した後に、まずは次男と言うべき大碓命についての愚痴を書きます。
%%%%%景行記。大碓命の条
原文:
於是天皇。聞看定三野國造之祖。神大根王之女。名兄比賣。弟比賣二孃子。其容姿麗美而。遣其御子大碓命以喚上。故其所遣大碓命。勿召上而。即己自婚其孃子。更求他女人。詐名其孃女而貢上。於是天皇。知其他嬢。恒令經長眼。亦勿婚而惚也。 故其大碓命。娶兄比賣。生子。押黒之兄日子王。〈 此者。三野之宇泥須和氣之祖。 〉亦娶弟比賣。生子。押黒弟日子王。〈 此者。牟宜都君等之祖。 〉 此之御世。定田部。又定東之淡水門。又定膳之大伴部。又定倭屯家。又作坂手池。即竹植其堤也。
景行天皇記(「記」は古事記からの引用と言う意味、「紀」は日本書紀)の冒頭に登場する三人の息子の内の二人に「うす」が付されている。「臼杵」なる地名が、津久見のすぐ北にありますが、その「ウス」はこの息子の名前に由来するのではないか。そうとすれば、これも天皇の政治拠点である「日代宮」が現在の津久見市であったことを示している、と前回記事で書きました。古事記を更に読み進めると同様の事例が見つかります。
景行記は冒頭に「系図」とでも言うべき人物名を羅列した後に、まずは次男と言うべき大碓命についての愚痴を書きます。
%%%%%景行記。大碓命の条
原文:
於是天皇。聞看定三野國造之祖。神大根王之女。名兄比賣。弟比賣二孃子。其容姿麗美而。遣其御子大碓命以喚上。故其所遣大碓命。勿召上而。即己自婚其孃子。更求他女人。詐名其孃女而貢上。於是天皇。知其他嬢。恒令經長眼。亦勿婚而惚也。 故其大碓命。娶兄比賣。生子。押黒之兄日子王。〈 此者。三野之宇泥須和氣之祖。 〉亦娶弟比賣。生子。押黒弟日子王。〈 此者。牟宜都君等之祖。 〉 此之御世。定田部。又定東之淡水門。又定膳之大伴部。又定倭屯家。又作坂手池。即竹植其堤也。
2020年11月21日23:00
2020年11月18日23:00
2020年11月15日22:00
2020年11月07日23:00
2020年11月01日23:00
2020年10月29日23:00
2020年10月26日23:00
2020年10月18日21:30
2020年10月17日22:30
12日のJR横浜駅「ガス臭」騒動や、6月からの横須賀市など三浦半島周辺での「異臭」騒動がワイドショーなどで大きく報道される中、富士山の近くで新たな異常現象が起きている。静岡県のローカルテレビ局「テレビ静岡」によると、富士宮市の住宅街で湧き水が異常なほど湧き出している現象が7月頃から発生しているという。関東から富士山周辺の地下で今、一体何が起きているのだろうか?
同一労働。同一賃金をめぐって
今週二つの相反するような判決が最高裁によって審決されました。二番目の判決は昨今の権力にひたすら寄り添う最高裁判所の判決とは思えぬほどの「進歩的」なものでした。どうなってるんだろうかと、いぶかっていたところ、安富氏がその「疑念」を解きほぐします。どうやら結果として「竹中平蔵」路線に沿ったものであるらしいことを安富氏は解き明かしています。
(図5:10月14日付け東京新聞)
今週二つの相反するような判決が最高裁によって審決されました。二番目の判決は昨今の権力にひたすら寄り添う最高裁判所の判決とは思えぬほどの「進歩的」なものでした。どうなってるんだろうかと、いぶかっていたところ、安富氏がその「疑念」を解きほぐします。どうやら結果として「竹中平蔵」路線に沿ったものであるらしいことを安富氏は解き明かしています。
(図5:10月14日付け東京新聞)
2020年10月14日22:30
2020年10月11日22:30
2020年10月08日22:30
2020年10月05日22:30
2020年10月02日20:30
2020年09月29日22:30
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