気象庁によりますと、この地震を含め19日だけで午後5時半までに、岐阜県飛騨地方や長野県中部を震源とする地震が32回相次いでいます。
今年は4月22日以降、岐阜と長野の県境付近を震源とする地震が130回以上起きています。一体なぜ、この地域で相次ぐのでしょうか。
山岡教授:
「飛騨山脈が今でも隆起しているところですが、飛騨山脈(=北アルプス)が、成長することに伴って起きている地震」
飛騨山脈。つまり、北アルプスが隆起する過程で揺れたと指摘しています。震源地にほど近い、高山市の新平湯温泉では…。
奥飛騨ガーデンホテル焼岳 石田純也常務:
「ゴゴゴゴゴゴって、かなり大きい揺れを感じました」
相次ぐ地震の影響からか、こちらの温泉では気になる現象が起きています。地面から湧き出ているのは、70度を超える熱湯。30年以上前に枯れていたはずの温泉の源泉が、先週以降、再び湧き出るようになったといいます。
石田常務:
「30年、止まっていた温泉が出てきて、びっくりした」
山岡教授:
「地震が起きると、地下水の流れが変わる例が、あちこちで報告されている。そういうもの(群発地震)で、出てきたということかもしれません」
安政東海地震(あんせいとうかいじしん)は、江戸時代後期の嘉永7年11月4日(1854年12月23日)に発生した東海地震である。ここでいう「東海地震」とは南海トラフ沿い東側半分の東海道沖が震源域となる地震のことであり、いわゆる東南海地震[注 2]の領域も本地震の震源域に含まれていたと考えられている[1][2]。
また、南海トラフ巨大地震の一つとされ、約32時間後に発生した安政南海地震とともに安政地震[3]、あるいは安政大地震とも総称される[4]。この地震は嘉永年間に起きたが[5]、この天変地異や前年の黒船来航を期に改元されて安政と改められ、歴史年表上では安政元年であることから安政を冠して呼ばれる[6]。当時は寅の大変(とらのたいへん)とも呼ばれた。