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万葉集:日本書紀:古事記:(22):20091109:万葉集二十三歌:二十四歌:

万葉集:日本書紀:古事記:(22):20091109:万葉集二十三歌:二十四歌:

 

 

法螺と戯言 : 万葉集二十三歌(十七天武四年四月大斎事)、スーパ地震(5)

17:33 

 

万葉集二十三歌(十七)
 さてここで前回までの話を整理して置きます。日本書紀の天武暦があからさまに書かなかった事を、万葉集二十三、二十四歌に付されている暦から推察してみたわけです。それによれば、671年12月に天智天皇が亡くなりました。そこで、翌672年を天武天皇元年として天武暦が始まります。しかし、この年は、天智天皇のお子である大友皇子を担ぐ天智天皇の臣下との戦いで7月末まで、あわただしく過ぎます。これが「壬申の大乱」です。慌しい事が理由であるのか、日本書紀は 新天皇の元年の太歳を、元年末に記していません。これは、異例の事です。それは翌二年(673年)の末尾に書かれる事となります。

 

 

法螺と戯言 : 万葉集二十三歌(十八、二十四歌左注、「天皇」は誰か?)、スーパ地震(6)

18:08

 

法螺と戯言 : 万葉集二十三歌(十九、二十三歌の歴史背景)、中川昭一前財務省の急死

19:02 

 

万葉集二十三歌(十九)
 話がややこしくなりそうです。そこで、二十三・四歌の背景をざっと知っておくためにも、この後の歌を見て置く事にします。
 二十五・二十六歌は似通っていますので、二十五歌だけを下に書きます:
(原文)三吉野之 耳我嶺尓 時無曽 雪者落家留 間無曽 雨者零計類 其雪乃 時無如 其雨乃 間無如 隈毛 不落 <念>乍叙来 其山道乎
(訓読)み吉野の 耳我の嶺に 時なくぞ 雪は降りける 間無くぞ 雨は降りける その雪の 時なきがごと そ の雨の 間なきがごと 隈もおちず 思ひつつぞ来る その山道を
ついで、二十七歌です:
(原文)淑人乃 良跡吉見而 好常言師 芳野吉見 多良人四来三
(訓読)淑き人のよしとよく見てよしと言ひし吉野よく見よ良き人よく見
二十八歌は:
(原文)春過而 夏来良之 白妙能 衣乾有 天之香来山
(訓読)春過ぎて夏来るらし白栲の衣干したり天の香具山

 

 

古橋信孝、万葉歌の成立

ISBN4-06-159061-8

25,p163

 

法螺と戯言 : 万葉集二十三歌(二十、天智・天武暦十年の比較)、寺島実郎氏が語る中川昭一氏、オイラと忠臣蔵

18:21 

 

https://livedoor.blogimg.jp/oibore_oobora/imgs/5/6/5608a505.jpg

 

 

法螺と戯言 : 万葉集二十三歌(二十一、天智遷都)、米国高官の日本観

 

19:53 

 

法螺と戯言 : 万葉集二十三歌(二十二、唐新羅進駐軍と都督府)および「事業仕分け」

17:53

 

法螺と戯言 : 万葉集二十三歌(二十三、唐新羅連合軍による九州制圧)、地球温暖化by田中宇氏

19:05

 

法螺と戯言 : 万葉集二十三歌(二十四、近江遷都直後), 地球温暖化(2)by田中宇氏

16:30 

 

法螺と戯言 : 万葉集ニ十三歌(二十五、天智・天武暦七年の空白の月)、丸山茂徳説

20:26

 

法螺と戯言 : 万葉集二十三歌(二十六、百済来倭は百済駐留軍の事), 雑誌[世界」での地球温暖化議論(四)

18:35 

 

 

法螺と戯言 : 万葉集ニ十三歌(二十七、書紀空白の埋め草に使われる二十一歌)及びホッケイ曲線(地球温暖化)

17:39 

 

法螺と戯言 : 万葉集ニ十三歌(二八、唐ー高句麗戦争に駆出された倭国), 天皇表敬問題

17:45

 

万葉集ニ十三歌(二九)
 前回、天智紀七年の記事を参照したさい、九月の記事、つまり高麗が大唐に破れる一月前の記事を書き忘れました。それは下記です:
天智天皇七年(六六八)秋九月壬午朔癸巳(十二日)。新羅遣沙冫食級金東厳等進調。
丁未丁未(二十六日)。中臣内臣使沙門法弁・秦筆、賜新羅上臣大角干庾信船一隻。付東厳等。
庚戌庚戌(二九日)。使布勢臣耳麻呂、賜新羅王輸御調船一隻、付東厳等。
新羅の沙冫食級金東厳(さとくきゅうさむとうごん)等が表敬してきた。新羅使節に船を与えた」

見事に色々な事の辻褄があってきます。高句麗を打ち負かす寸前に、唐と同盟を組む新羅からの使節がやってきたというのです。そして、わずか二週間の間に船を調達して使節にそれを与えたというわけです。何の事はありません。唐新羅連合軍は、高句麗との戦いの終盤での決戦を確実の勝利するため、日本列島政権言い換えれば当時列島を支配していた唐新羅連合軍から、さらなる物資補給を要請し、大宰府がそれに応えたと言う事をあからさまに日本書紀に記しているのです。

 

法螺と戯言 : 万葉集二十三歌(二十九), 地球温暖化(植田京大教授の議論)

20:12 

 

万葉集二十三歌(二十九)
 長々と暦の話を書いてきました。天智暦と天武暦が月の朔日で、二日しか違わないことを書きました。天武紀で月の朔日が記載されていない月は、天智暦でもその朔日が与えられていないこと、しかも、その割合は七割強に達することを書いてきました。又、天智暦の七年は、国際情勢の激動を反映して、その記事は、明らかに斉明紀からの引き写しらしいことも見てきました。
 天智暦と天武暦は同じ暦から、異なる二つの暦としていわば「捏造」したと思えます。こうした視点に立って、話の大元、すなわち万葉集二十三歌・二十四歌に付されている左注が引用する「紀」の記事に立ち返ります。この記事は、干支と月の朔日での「くいちがい」を除くと、同一を語っています。そこで、次回から、天武紀四年4月の記事の吟味を始めます。
(つづく)

 

 

 

法螺と戯言 : 万葉集(文献、その一埼玉稲荷山古墳の鉄剣銘文),地球温暖化(6)

16:15

 

法螺と戯言 : 万葉集解読(文献―2−、常陸古社(一から三宮),石油枯渇

14:15